私たちは、とんでもない時代に生きている。
どういうことかというと「正解」がない。なにを選んだらいいか分からない。そんな時代に突入している。
ひと昔前は、ある意味正解が提示されていた。
一流大学に入って、安定した大手企業に就職し、結婚してマイホームを持って、老後は退職金と年金でのんびりする。そんなロードマップが描かれていた。
しかし、今そのロードマップを本気で歩もうとしている人は、激減していると思う。
時代の変化が激しい昨今、一社で定年まで勤めあげる人のほうが稀だ。安泰だと思っていた会社が潰れることだってある。急に職を失うことだってないとはいえない。
なにが起こるか分からない。私たちは不確実性の高い世界を生きている。そんな現実に、みんな薄々気づいている。
もはや「こうしたらいい」という正解はない。
私たちは、正解がない中であっても、自分で決めた道を歩かなければいけない。ただ「決める」というのは、想像以上にしんどいことだ。
迷うし、ブレるし、諦めたくなることもある。
それに自分で決めるということは、責任を負うということだ。誰のせいにもできない。だって自分が選んだことだから。
いや、自分で決めたことではないとしても同じことだ。自分の人生の責任は自分で取るしかない。
会社に尽くしたとしても、経営が傾けば切り捨てられる。ずっと面倒を見てくれるわけでもないし、いざというときに助けてくれるわけでもない。
親友だって恋人だって家族だって、永遠に一緒にいてくれるわけではない。結局は、自分がなんとかするしかない。
そんなことは、きっとみんな分かっている。でも、その現実を見ないようにしている。そのほうが一時的には楽だから。
考えるのは大変だし、決めるのも大変だ。だったら、考えないで決めないで生きたほうが楽だ。その考えも理解できる。
それに、自分で決めたとしても、選んだ道から正解を探していかなければいけない。ただ決めるだけでは不十分で、そこから正解を創り出していく必要がある。
「よい」と思って選んで決めても、失敗や挫折を経験することはあるだろう。決めた先にあるのは、ポジティブな結果ばかりとは限らない。
うまくいかなくても、また立ち上がって、何度も試して、自分なりの正解を創り出していく。こうして書いているだけでも吐きそうになる。しんどい。
義務教育で「◯◯しなさい」と教えられて育った私たちにとって、自分で正解を創るというのは、かなりしんどい作業だ。
でも私は、今の時代に生まれてよかったと思っている。
だって、正解がないということは自由だから。いろいろな選択肢のなかから、自分で選んで決めていいということだから。
ご先祖様は、否応なしに戦に行かなければいけなかった。結婚相手だって自分で決められなかったし、住む場所だって変えられなかった。そんな時代が実際にあったのだ。
いや、今でも世界を見渡せば、そんな国は存在すると思う。
でも、私たちは日本に生まれている時点で、選べるし決められる。正解を創り出せる。そんな恵まれた環境にいるのだ。
昨日だって会社の上司ともめて気分が落ち込んだけど、俯瞰して見ると、きっとなんてことはない。
私たちは、今日も明日も明後日も、自分で決められる。正解を創れる。
そんな私たちは、きっと自由なのだ。
新しい気持ちで今日をはじめてみると、違った景色が見えてくるかもしれない。
世界は、きっともっと美しい。
ふくきた

